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想田和弘監督作品 Peaceが見せてくれる偶然かつ意図的な日本の日常風景 そしてストーリーについて


「選挙」「精神」と毎回期待以上の映像を見せてくれている想田監督の最新作が渋谷のシアターフォーラムで上映されていってきた。
映画をまったく観ない人に「猫と平和の映画だよw」と完全なる欺瞞をもとに観てきたわけだが、
横でぐっすりとお休みになっていたので、人によって刺さる刺さらないがあると想いました。
ネタバレも何もないけれど、今回のPeaceの舞台は岡山県北区、30万人が住む地方の中では政令指定都市の大きな町と考えられる。原研哉がうまれたところでもあるところのようだ。自分の母親や、同居人が岡山出身であったりで、
何かと縁のある場所でもある。

そんな地方都市で、ギリギリの収入でなんとかやっていく70歳に手が届くような老人が
実施している訪問介護事業所の周辺の日常を監督の観点で映している。

雑誌「真夜中」での想田監督の寄稿では
「ドキュメンタリーはフィクションであるが、予想できない現実が起きるというのも魅力である」
というようなことが書いてあったと思うが、一度この監督がレンズをむけると予想外の出来事が色々おきるし、
出てくる人々の日常の中の、非日常というものが、レンズをむけられる客体の恍惚感からなのか、増幅装置にかけられたかのように、クローズアップされ、細切れな場面にコンテクストがつくられていく。もしくはコンテクストの中に、
選ばれたパーツたちが置かれているだけなのかもしれない。

猫をとるはずが、人間を、人間をとるはずが、職場を、職場をとるはずが世間を、世間をとるはずが、戦争を
とまるで何かに引き寄せられていくかのように、物事は核心にむかって。。
となっていくと思わせて、核心は何もない。だから最後をむかえたときも、え?ここ?というところでおわる。
予定調和でなく、勧善懲悪でもなく、ゆるりとした日常に失われていく日常と、新たにうまれるもの、残されるものの生活を覗く中で自分らで答えを作れよ ってそういう意味なのかなぁと勝手に解釈をしてみる。

なぜ、岡山?なぜ猫?なぜ戦争?疑問に思うところはたくさんある。
けれど、映像のパズルの組み合わせ、また東京に住んでいては体験できない、今の年では、もしくは都市wでは体験できない日常を自分には見せてくれた。プライド、やさしさ、生きること、自分ができること、そんなことを答えもなくふわふわと今後考えていかなくてはいけないと思わせた映画だったことは間違いないだろう。
変に恐怖感を持ったのもあり、今日からまともに勉強をしはじめた8/2。

ドキュメンタリーはだから面白い。答えを勝手に考えられる。答えがわからないから、
ひたすら考える。でもわからないんだけれどね。地方都市の生活、日常。都会と都市の違い。
お金が循環しているところ、していないところ。でも最低限必要なお金は循環している。
僕らはどこでうまれ、どこで生活し、どこで死ぬべきなのか、なんて考えるいいきっかけになるかもしれない。

  • 参考

http://ecocolo.com/culture/c2/631/

  • 喫茶去(きっさこ)の意味 これは意味深い

禅語に親しむ

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